9月17日(月)
朝6時前に目覚めた。
今日は9時20分から、フェリーに乗る前日にネットで予約をしてた知床半島クルーズがある。かなりの確率で熊を見れるらしく、8000円と高額だが、楽しみなクルーズだ。
8時50分集合とのことだったが、時間があったので、港にあるオロンコ岩というのに登った。
知床八景の一つらしい。昨日行った知床峠、知床五湖、国設知床野営場の海側にある夕陽台も知床八景だったようだ。
オロンコ岩から道の駅ウトロ方面を見る。真ん中右にある黒い屋根が道の駅ウトロ。
FOXというところのクルーズに参加した。
始めは別のところを予約したのだが、晴れならば外の方が良いのと小型船の方がより近くて見れると思ったのでこちらに変更した。
この船で半島の先まで行ってきた。
船は思っていたような小型船だったが、座席がなく、狭かった。海との距離が近く、物を落としたら海の中だな、とちょっと怖く感じるくらいの距離感だった。
救命胴衣とウインドブレーカーの無料レンタルがあり、私は救命胴衣だけを借りた。
結構風が強いので、体感温度は結構寒かった。
双眼鏡も600円でレンタルしていたが、私は持っていったのでそれを使った。
博物館鑑賞用の6.5倍のやつだったが、十分使えた。熊を見つけたときにもっと大きく見えたらなぁと思ったが、博物館以外でも十分活躍出来ることを証明してくれた。
鮭を捕って食べるヒグマ。
知床半島の先端。
約3時間と聞いていたので、知床岬の先端まで行けるのかと思っていたが、ちゃんと先端まで行ってくれた。往路はポイントポイントでスピードを落として説明してくれたので2時間くらいかかり、復路はスピードを上げて帰るだけなので1時間くらいだったと思う。
狭くてペットボトルのお茶を飲むことと、デジカメとアクションカムの電池を変えること以外はできなかった。何かを落としそうな怖さもあった。もう少し余裕を持って鑑賞できたらよかったと思ったが、ガラス越しの船内からでは味気ないし、これはこれで良かったと思う。
5000円くらいならいいのになぁと思う。
座席に余裕があったので、復路は逆側に移っても良いと言われ、景色を楽しめた。
クルーズの後は、モンベルと100円ショップだ。
ダイソーでは針のほか、コッヘルを洗う洗剤とスポンジ、テント内で洗濯物を干せないかと洗濯物干しとハンガー買った。ダイソーは節電のため店内は照明をかなり落としていて暗かった。
ダイソーを出て数キロ走り、ふと財布を入れているズボンのサイドポケットを触るがない。ヤバい。血の気が引いた。全財産と免許も入っている。
バイクを止めて降りる。あった、リアシートのところに。55Lのリュックはリアシートに縛り、25Lのサブリュックを背負っているが、リュックとリュックの間で落ちなかったのだ。確かにダイソーを出て財布をリアシートに乗せた覚えはある。いずれにせよよかった。
途中、ほがじゃ工場があり、徳用袋を4つ購入した。昨年は2個しか買えなかったのでよかった。
モンベルではレ型ペグを8本購入。
天気予報では斜里岳はしばらく無理そうだ。雌阿寒岳なら明日行けそうだが、開陽台に行くことにした。せっかく最高コンデジを星空のために買ったのだから。
途中、止別(やむべつ)駅の駅舎でやっているラーメン屋で奮発して駅長ラーメン大盛りを頼んだ。1760円。
地方でラーメンを食べると東京のラーメンがいかに美味しいかわかる。
決して不味いわけではないのだが・・・
止別(やむべつ)駅。左に見える駅舎はラーメン屋。
開陽台に行く前に、荷物が多すぎたことを反省し、斜里のヤマト運輸で自宅に荷物を送った。使っていないバスタオルや長袖シャツ、もちろんお土産も。あとウエストバッグも。
これでだいぶ身軽になった。
ここでまたハプニング。
カメラは首から下げて運転しているが、オートレンズカバーがなくなっていた。
アマゾンで買った社外品で2000円くらいだったが、付けた時からすぐ外れそうだと思っていたが、やはり外れた。でも安いし使い勝手がいいのでまた買おうと思う。
これで、ダイソーで買った針の出番はなくなった。
開陽台には4時半頃に着いた。
家で掃除をしていたら1994年の写真が出てきたので参考までに。↑今年。
この鐘は変わっていない。開陽台の看板は昔の方がよかったかな。↓1994年(24年前)
あとは全部今年。
明日が平日ということもあり、テント場は私一人。展望台からテント場を見る。
すぐにもう1人ライダーが来たが、テント場までの悪道に恐れてどこかへ行ってしまった。
まず、テントを設営しているとガシャンと音がしてバイクが倒れた。スタンドが土をえぐっていた。あー、昨年と同じだ。またやってしまった。
昨年は帰りをフェリーにしたのでいらなくなった東北地方のガイドブックを置いてスタンドを立てた。ぬかるんでいたのでガイドブックは泥まみれになり捨てたのだった。
昨年と同じ轍を踏まないようにスタンド台を持っていたのに。
幸い、土の上に倒れたのでミラーがゆるみ、左のパニアケースが外れただけで、目立った外傷はなく、なによりも自力で立ち上げることに成功した。
台の上にスタンドを置いて安定した。
そのままにしていれば良いものを、向きを変えようとしてまたがったら、今度はバランスを崩して右側に倒れた。
こちらはミラーも緩まず、パニアケースも外れなかったが、自力で立ち上げることができない。
あと少しというところで前輪がまわってしまう。まだ人もいる時間だし誰かを助けに呼びに行こうかと思ったが、パニアケースが潰れそうなので、なんとか自力でと悪戦苦闘していると、展望台から見ていたのか、助けに来てくれた人がいた。
助けてくれた方は、札幌在住の方で、30年前はもっとたくさんのテントがあったものだと言っていた。地震後3日くらいは電気もなく大変だったが、札幌でもこんなに星が見れるのかと思えるくらい星が見えたと笑っていた。3.11の際はガソリンが無くて大変でした。と、私が言うと、ガソリンも3日くらいは並んでたよと言っていた。
昨年来たときはテントも5張くらいはあったので寂しくなったものだ。
若者の車離れが言われるが、駐輪場の未整備と相まってバイク離れが進んだのも影響があるかもしれない。
昔はなかった自販機だが、展望台にはなく、下の駐輪場まで行かなければならないのはつらい。また、展望台のトイレも夜間は施錠されてしまい、下まで行かなければならないのは大変だ。
天気予報では晴れになっていたから開陽台に来たのだが、18時頃は曇りで隙間から星が少し見える程度だった。
夜ごはんは昨日と同様にマルちゃんの湯せん釜めしごはん。電子レンジなら2分程度なのだが、湯せんだと15分くらいかかる。しかも私のコッヘルは小さくて半分しか浸からないので逆さまに入れ替えたりして20分近くかかった。
そうこうしていると、雨が降ってきた。数分程度だったと思うが、テントに雨の感触をはっきり感じるくらいの雨だった。
雨が止んでテントの外に出てみると、星と雲の量が先ほどと逆転し、星7割雲3割くらいになっていた。
チャンスとばかりに、こちらもこのために買った三脚を広げ星空撮影を開始した。
事前に神奈川三浦半島の城ケ島で星空撮影は試してきた。今の私の腕ではマニュアルよりオートの方が良く撮れるのは実証済みだから、迷わずオートで撮影開始。
ただ、撮った画像は小さなモニタでしか確認できないので思うように撮れているかは家に帰ってみないとわからない。
タイムラプスを撮りつつ、日記を書いていると、満天の星空になった。
これだ!
これを見るために開陽台に来るんだ。
これを見るために北海道に来たんだ。
これを撮るためにカメラを買ったんだ。
この星空を見ていると、羅臼岳に登れなかったことなんかどうでもよい、これが見れただけでこの北海道ツーリングは成功した。
そう思えるほどの星空だった。
明日は雌阿寒岳に登ったあと、もう一度ほがじゃの工場で徳用袋を4つ買い、興部(おこっぺ)か相生(あいおい)の無料列車ライダーハウスに行くつもりだ。
洗濯がしたい。今日、ウトロ出るときにコインランドリーがあった。残念。
昼間は半袖でいいくらい暑いのだが、朝晩はやはり冷える。
横浜なら9月中旬ならタオルケットで十分だが、北海道は寒い。暑くないではなく、寒いのだ。横浜の人間からすれば、この時期はまだ半袖という感覚だから朝晩の冷え込みがさすが北海道といったところだ。